摂理の筋肉ピアニストからみた、もののけ姫!!やばいっ、超好きです!!!!
おっと、平静をとりもどして・・・
もののけ姫って一度宮崎駿監督が「この作品作って作品作りやめる」とおっしゃってたのご存知ですか?もののけ姫に対する監督の思い入れが伝わってきますが、実は宮崎駿監督はクリスチャンの方なんです(息子は知らん)。例えばラピュタのキャラはゴリアテとかいますが、ろこつに聖書の中で敵で出てくるやつです(サムエル記あたり)。
まあ、それはさておき、摂理で聖書をよく知ってからもののけ姫を見た私にとって、ダブルパンチでした。ここからはもののけ姫を見た方だけ読んでくださいな。見ずに読んだ方は、「先入観じゃないの?」と疑いながらもう一度見てみてください。不快に思われた方は一意見として流してください。
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次の設定でもののけ姫を見ていくと、非常に深く内容が見れます。
アシタカ:イエス様(キリストは名前ではなくメシアという意味)
サン:もののけの姫(より動物、自然主義的、神様に近く生きている人の一人)
もののけの神達:旧約聖書の預言者達(神様から言葉を預かってきた主人公達)
エボシ:文明の姫(より都会、現実主義的な人の代表)
ジコ坊+唐傘連:イスカリオテのユダとイエス様当世のユダヤ教司祭達
もののけ姫は日本設定版新約聖書といっても過言ではないすばらしい作品です。そのように解かなくてもすばらしい作品です。が、敢えて解いてみますね。自分は解けた方がすっきりしたので。
?なごの神とアシタカ 〜そして旅立ちへ〜
辺境の村に住む正しく生きてきた人、アシタカに、人から攻撃を受けて呪いをもってきたタタリ神。
このシーンを、
呪いを罪としてみる(罪は、神様の前に心や行動の汚れのようなもの)と、それまで罪ともわからず自らだけで清く生きようとしてきたが、
世の中に大きな罪があり、自分にもその罪の種があることに気づき、どうしたら解決するのか、どうしたら人類が生きられるのか、神様や聖書にすがりつき、深い祈りの旅に出たイエス様とかぶります。
因みに他人を憎み呪うこと、怒ること、自体が罪の1つ1つです。たたり神もなりたくてなってたのではないわけですよね。
そしてアシタカは、村から出て呪いの問題を解くことが自らであり、村の人の救いとなることに気づき、旅にでていきます。出発の時、カヤから宝物をもらい、「いつでもカヤをおもう」と言いましたが、明らかに個人的なものではなく、兄弟愛に満ちた表情で、イエス様が周りの人1人1人に、「愛している」と伝え大切にしていた心と同じものを感じます。
no.2につづく