キリスト教に関して無知だった自分は、聖書に霊の話があるのを知り、「キリスト教も霊を扱うのか」とオドロキでした。霊は仏教の専売特許だと思っていたからです。
それ以外にも自分の概念外で面食らったことが多々ありますが、「心情」というのもそうでした。摂理では「心情」がとても強調されます。
中国は思想、韓国は感情、日本は技術の国という喩えがあります。摂理は韓国的な影響が大きいにせよ(と言うより、そういうお国柄だから神様に用いられている)、21世紀の神様を理解するには「心情」がポイントなのです。
神様の世界は心情の世界。
すなわち霊の世界も同じく心情の世界です。霊は心が純粋に形になったような存在。似た者同士はすぐに仲良くなりますが、波長が合わないと一緒にいるのが辛いのです。
そして天国は神様を愛する人が集まる場。神様を知らない人、傲慢な人、卑屈な人は天国に居るのが辛くなってしまうのです。
「神様を愛さないといけないなんて、何か窮屈な世界だなぁ」と思うかも。
でもそれは本当の神様の愛を知らないから義務に感じてしまうこと。恋人関係をイメージしてもらえば分かり易いのですが、相思相愛は嬉しいことではないですか?
できれば相手と言葉を交わさなくても、相手の気持ちが分かるようになれば最高。「目と目で通じあう」というやつです。どちらかが無理強いをするのでもなく、媚びるのでもなく、お互いの個性を尊重しながら調和する。
そのように神様、いや、神様のみならず人同士でも相手と心情を合わせて、愛し合い通じ合うことができる。それが神様の言う理想世界、天国です。
そして「同じことをしても褒められる時もあれば、叱られる時もある」。
恋人同士なら、「お風呂は熱いのがいい」という相手でも、猛暑の日には「今日は少しぬるめにしてあげよう」となるはずです。原理原則ばかりではなく、心情は臨機応変さが必要です。一般社会でも「KY」は敬遠されるように、その場その場で相手を思いやる気持ちが大切なのです。
もちろん神様の世界も守るべき法はあります。でもそれは最小限であり、皆が杓子定規に規則を守っての「公平」な世界が理想ならば、人間を忠実なロボットとして創造すれば良かったこと。そうではなく、それぞれの自由な個性が競い合い、お互いを補う豊かな世界。
そして「見えない」が故に深い世界であり、世間の価値観で判断すると誤解をしてしまうことも多々あります。
娼婦であったマクダラのマリアは、とてもイエス様に愛されたとの伝承がありますが、それは主と心情で通じ合えた人だったからではないでしょうか。でも周りは「なぜあの子だけひいきにされるのか」と嫉妬したり、イエス様との「肉体関係」を疑ったり・・現代でもその子孫がいるとかいないとか、そんなバカな話が話題になったりしています。
さて、このように書きましたが・・心情的になることは、実際はとても難しいことなんですよね。特に見えない神様の気持ちを知るなんて至難の業。
でも先生は祈って祈って、愛して愛して・・イエス様の気持ちが衝撃波のようにドーンと伝わって涙したり、神様の気持ちや心情を啓示で受けたりしたそうです。また遠く離れた人の想いを感じることもできるそうです。
日々変化する相手の気持を察し、それに合わせて愛してあげることができたら、どんなに素晴らしいか・・だから相手の心情を理解できることは「最先端の悟り」とも言うのです。
それで摂理では歌でもスポーツでも「心情一体」を掲げてやりますし、先生のみならず兄弟姉妹でも同じように「仕える」ことが大切だと説いています。
かつて韓国の宣教師がリーダーだった時代は、心情がズレていると「無視」という訓練方法もあったようで(汗)・・最近の日本人リーダーの場合はそんな厳しい教育も少なくなったようですが。
しかし、心情を扱うことは女性が圧倒的有利ですね。聖書では「聖霊」という存在が女性的な立場です。旧約時代は神様の導く、厳格な父親の時代でした。イエス様の新約時代は子供の時代。仕えたり誰かのために生きるという働きをしました。
そして成約時代は、聖霊の、女性の時代です。最近の女性上位、そして日本の皇室に女の子が多いのも時代のしるし!?・・なのかも知れません。