摂理人のみたもののけ姫より
アシタカ:イエス様
サン:もののけの姫(より動物、自然主義的、神様に近く生きている人の一人)
もののけの神達:旧約聖書の預言者達(神様から言葉を預かってきた主人公達)
エボシ:文明の姫(より都会、現実主義的な人の代表)
ジコ坊+唐傘連:イスカリオテのユダとイエス様当世のユダヤ教司祭達
2.エボシとサンとの出会い。
村を出たアシタカは、呪いの力により敵を倒すが、呪いはどんどん増幅し、アシタカを蝕んでいく。
罪も肉を治めるには大きく力を発揮するが、やがて自らが蝕まれていく。例えば裏金のように。
アシタカはジコ坊に教えられ村から森をぬけていく。そこでサンと出会う。山犬にやられたコウサクを運び、たたら場へいく。イエス様が病人を癒しながら都市エルサレムに行くよう。そこで鉄鋼で村を栄えさせたエボシに会う。
ここでエボシの「そなたは見方か?」に対し、僕の大好きなアシタカの名セリフ「曇りなき眼で見定める」がある。エボシは銃を作りたたり神を生み出した、サンや自然の敵であるが、病んだ人を助け、女を解放し、町を興した。何が罪で、何が正しいことなのかを選択するには複雑化して困難を極める今の世の中を象徴している。
サンは自然主義で、神を敬っているが、人間や開発を嫌っていて敵対視している。
この2人の間に立ち、宗教と科学を1つにしていくことこそ、キリストが争いをなくしていく道の1つといえる。
3.しし神(デイタラボッチ)
アシタカは一旦エボシからサンを助け、町人に打たれ傷を負うが、サンに連れられてしし神に会いにいく。このなんとも言えない形のしし神だが、しし神は生死を司るものとして表現されている。つまりは神様。アシタカの体を癒したが、呪いは消さなかった。神の前に、呪いすなわち罪を完全にあがない悔い改める(謝り2度とおきないよう許しを求める)まで、本人がわからない限りは罪が蓄積していく。
アシタカが背負っていた罪とは・・・本当は決してアシタカだけのものではなかった罪。人間の代表として背負っていた罪。誰かが解かなければいけない人類の罪。自分で直接犯していなくとも、他人の代わりに解くべく、救い主が苦しみとして受けて、神に求めてきた生き方。
徐々にイエス様の姿が見えてきたところで、no.3につづく。
本編とは関係ないが、自分もよく信仰的に死にそうになってきたが、人の信仰が死なない用に助けたり、神様が喜ぶことを必死にしていたので生かせてもらったなと思うことが多い。曇りなき眼をつくりたくてここまできて、アシタカのように命を何度も助けてもらってきたなと思う。