日本が高齢化社会になると言われて久しい。気が付けば、身の回りにも介護センターとか、デイケアの施設がたくさん増えた。と言うか、自分の年齢が上がったのでそういうものが目につくようになったのかも知れない。
さて自分も人生折り返し点は過ぎていると思うが、介護施設で勤める知人から聞いた話。
それは、老人になると今まで生きてきた様があらわになる、隠せないと言う。
ある人はとっても感謝、感謝を口にする。特に信仰持ちでもないようだが、介護士さんたちにもとても評判が良い。
別の人は、とっても几帳面な性格だったのか、あれこれ確認、指摘ばかり。食事の時でも「このおかずは何か」、「これは口に運んだか」と何度も何度も繰り返して話す。
またある人は、お嬢様で育ったのか、老いても丁寧なお言葉 & 高飛車な態度。
その他、かんしゃくを起こす人、タバコがやめられない人、さまざま。
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「年寄り笑うな行く道だ」とは言いますが、ホントにそうだと思います。
自分は死ぬことに関しては、善人悪人にかかわらない、つまり善人だから綺麗な死に方をする、悪人だから惨めな最期を遂げるとは限らないだろうと思っています。
実際イエス様をはじめ、使徒たち、迫害で散った名もない聖徒たちの最後は人間としては凄まじいものがありました。(もちろん、死に方だけであり、死後の霊界での栄光は除いての話ですが・・。)
でも短い死の時とは違い、長い老後の期間に関しては確実にその人の培ってきたものが現れるようです。現れると言うよりは、猫を被るとかができない、長年の身につけてしまった気質を隠すことができないというのです。
これを聞いて思い出されるのが霊の話。霊という存在は、胎児が母親の母体で育つように、肉体を通して霊も成長します。だから肉体に身に付いた生き方、性格が霊にもそのまま反映されてしまうそうです(そしてその性格のままあの世で暮すことになる)。
死後の霊とまでは言いませんが、老後の状態もある意味、自分がどのように生きてきたか、自分を磨いてきたか、それらの集大成があらわになる状態と言えるのかも知れません。
摂理人も人格を磨くことにかけては頑張っていると思いますが、こういう話を聞くと怖いですね〜。私達が老いた時に素晴らしいお年寄りとして輝くことができるかどうか。
もちろん個人の生き方だけの問題ではなく、やむえず病気でそうなる場合もあるでしょう。世間でよくある認知症にかかるかもしれないし、こればかりはその年齢になってみないとわかりませんが・・。でも摂理人なら老人になってもダンスやチアをしてそうな感じです(笑)。
余談ですが、まだ歴史が浅い摂理では、どちらかというと若者文化中心です。
もちろん先生はそこそこの年齢ではありますが、まだ摂理として老後対策や、お葬式、レクイエムの曲などは考えられていません。私個人としては、既成の賛美歌でお葬式をしてもらいたくはないですね。
今必要ではないかもしれませんが、今後はこういう冠婚葬祭含め、「ゆりかごから墓場まで」の文化を創っていくことになると思われます。
私もあと10年もすれば50歳、20年もすれば60歳・・人生はホントに短い!
まあ、明るい老後を迎えるためには今を頑張らないといけないのですが。
老人になっても信仰を持つ身として周囲を感化できる人になりたいですし、人生最後まで摂理人らしくありたいと願うところです。