摂理では聖書を読みます。
僕は活字が苦手ですが、摂理にきて、活字をかなり克服できた
と思います。
聖書は世界でいまだにベストセラー、海外では人気ランキングに入るほど。
聖書は聖句によれば、
「神の霊感により書かれたもので、人を教え、
正しくし、義に導くのに有益である。<第2テモテ:3/16>」
「聖書は私(イエスさま)について証をする(こういう人だよと示す)
ものである。<ヨハネ:5/39>」
「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。
御言葉にしたがってそれを守るより他にありません。<詩篇:119/8>」
「このことばに命があった。そしてこの命は人の光であった。<ヨハネ1:4>」
まだまだありますが、つまり神様のことばをつづっていて、
役に立つってことっす。
しかし、実際に読むと・・・眠くなる、眠くなる。 なぜか。
答えは簡単。わからない、難しいことがあまりに多い。
これが寝ずに面白く読めるようになったことは摂理に感謝すべき
ことだと、改めて再発見しました。
摂理にきて、聖書は面白い、面白い。
無論わからない部分だけ眠くもなりますが、祈って読んで、
受けるものも増えていきました。
ちゃんと認識して読めば、整理して読める。たとえば
「私がいったのはパンについてではないことをどうして
悟らないのか。
・・・パリサイ人とサドカイ人との教えのことであることを悟った。<マタイ:16/12-13>」
パンが食べ物でなく、言葉を比喩している、とわかって
読めば、パンが増える奇跡、天からのマナ、そこで何を
言いたいのかが見えてくる。
「死人がよみがえる。」→「肉に死んで霊に生きる」などね。
やはり、原点は聖書、神様だ。あくまでその上の、イエスさま。
その言葉を体得するのにもがいてきたチョンミョンソク師匠。
ここにきてなかったら7読も絶対しなかっただろう。
そこから得たものは真の自由に近づいてきたこと、
愛情に渇かなくなってきたこと、などなど。
聖句の質問などあればポヨッと聞いてみてね。
マタイとか得意よん。