摂理で結婚の祝福をうけ、子供を連れて教会に来る人たちがいる。
子育てに追われ、自分のことを振り返っている暇もなく、命をはぐくむために頑張っている。
それまで教会でも輝いていたのが、家庭のことで忙しく、
思う存分走れなくなり、葛藤になっていたりする。
それでもこれまで走ってきた道程は、何にも変えがたい財産だ。
どんな組織でも
人は経験を積み重ねていくうちに、求められる役割が変わってくる。
古い人は、古い人なりに出来ることがある。
先日、一児の母が代表祈祷をしていた。
その祈りは深く、長い間神様の歴史に身を投じて来た人の祈りだった。
若い世代には真似のできないその祈りは、神様の心情に沁みたと思う。
長く走ってきた人は、信仰の道の苦しさも楽しさも知っている。
酸いも甘いも経験してきたからこそ伝えられることがある。
たとえ言葉は多くなくても、心情は沁み出していく。
最近、よく感じることだが
人はより古い人から愛を受けなければならない。
自分の存在を認めてもらわなければならない。
古い人が若い人の成長に
暖かい眼差しを注いであげるだけで大きな力になる。
肉体はやがて朽ちていくし、身体の成長に限界はある。
古くなっていくことは将来や希望が減っていくように思える時もある。
それでも心情の世界は、ゆけばゆくほど深まっていくもの。
古いからこそ、もっと心情を込めた愛を注ぐことができる。
古いという事は素晴らしい。
何より先生が一番摂理の古い人だから。