皆さんは一番心がぐらぐら揺れてしまう時はどんな時ですか
私が一番揺れるときは「寂しいとき」です
程度の差はあれ、人間なら誰でも「寂しい」という感情は
どこかしらの場面で少なからず持つものです。
「寂しい」という感情自体はごく自然な感情だと思いますが、
「寂しい」気持ちに飲み込まれたり
「寂しい」気持ちを押し殺したりすると
問題が起きる可能性があります。
もし、寂しい感情を押し殺そうとしても、
それは感情にフタをしているだけで、
その感情自体は自分の心の奥底に存在したままです。
そうすると、潜在意識にある「寂しい」感情をなんとか
解消しようと無意識の力が働いて
寂しい気持ちをまぎらわせるため 様々な行動に出始めます
行動は人によりますが
寂しさを
異性でまぎらわす人
お酒でまぎらわす人
薬物でまぎらわす人
暴飲暴食でまぎらわす人
人をお世話することでまぎらわす人
仕事でまぎらわす人
実に様々です
本人が自分のさびしい心に気付かず、
無意識にやっていることもあります
私は自分の寂しさを
常に忙しい仕事をすること
他人の世話をやくことで解消する人でした。
教会の中でもそのようにしていました
だから、
信仰が良さそうに見えて
心は神様とかけ離れたところで生きてた人だったんです
だから、問題から目をそらすよりは、
少し辛いけど寂しい気持ちに向き合って
どう解決していくか考えてみる必要がありました
では、寂しい気持ちをどうやって
寂しくないように変えたらいいでしょうか
まず、「寂しい」と感じる理由を考えてみましょう
これは私の個人的な経験ですが、
「寂しい」感情は、愛情の欠乏感から来るものだと感じています
幼い頃に保護者に注目されることが少なかったり
無償の愛をもらうチャンスが少ないと
自分の中に必要な「愛」がありません
人間は愛なしには生きられないため無意識に愛を求めていき
「もっと認めてほしい」
「私に注目してほしい」と感じます。
でもそれらが満たされないと 「寂しい」と感じるのではないでしょうか
恋人が必ずいないと生きていけない
彼氏彼女をとっかえひっかえしてしまう
という心境も
幼い頃受けられなかった愛を求めずには
いられないからではないでしょうか
でも、ちょっとだけ立ち止まって考えてみてください。
もともと本人の中に足りない愛は
「恋人どうしの愛」ではありません
幼い頃受けられなかった「無償の愛」です
だから恋人にそれを求めても、
恋人は無償の愛を与える親のような存在ではないから
どちらかが相手に寄りかかり過ぎたり
どちらかが尽くすのに疲れてしまい
残念ながらその関係はいつか破綻します
恋人どうしの愛は、愛されることを求めるよりまず
「自らが相手を愛していく」愛だからです
だから、「寂しい」ときに異性の愛で満たそうとするよりも
親の立場でも私達を愛して下さる神様の「無償の愛」で自分を満たすのが
最善の方法なんだろうと私は考えています
神様に、自分が寂しいことを訴え
神様に、自分が無償の愛を十分過ぎる位に感じられよう求め、
神様が寂しい気持ちを無くしてくださるよう
必死で訴えてみる価値は十分あると思います
寂しい気持ちは、「私は深く愛されている」と、
24時間、感動的な程に実感するようになると
自然となくなっていきます
(ちなみに私は
「神様が私を本当に愛してるなら、
愛に鈍感な私でもはっきりとわかるように
私を愛してる証拠を毎日たくさん見せてください」
と図々しく祈ってきました。
おかげで以前よりは寂しさを克服できました)
たとえ、寂しい気持ち全てがなくならなくても
自ら「寂しい」気持ちに飲み込まれなくなると
以前よりは気持ちが楽になります
無償の愛を求める相手を間違えると
自分が一番苦しみ傷ついてしまいます
神様は私達の避け所になって下さる方だからこそ
ひたすら神様に愛を求めて
自分自身を神様の愛で満たし癒していきたいですね
そうした時に私達の愛が成長し
神様、キリストを新郎として迎えられるのかもしれません
偉そうなことを書いてる私も
三歩進んで二歩下がるような状態ですが・・・
「神様~、イエス様~!私はすごく寂しくなっちゃうんですよ~
どうか私の心をまもってください~(涙)」
と仕事しながら朝からずっと祈ってたら
夕方にようやく心が落ち着いてきました。
ほ。
「実はめっちゃ、寂しがりやねん・・」
と思った方、
神様に祈り倒して共に乗り越えましょう!