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北島康介 オリンピック100メートル平泳ぎ2連覇 そして摂理の輝き |
| Posted by 摂理日記 |
北京オリンピックの競泳男子100メートル平泳ぎ決勝で、北島康介選手が世界新記録の58秒91で2連覇を果たしました。
本当に見事でした。心からおめでとうと言いたいです。
金メダルを期待される中、相当な目に見えない重圧があったと思われますが、そこで結果をだすというのは本当にたいした精神力と実力そして運だったと思います。
2回目の金メダルでしたが、今回のほうが嬉しそうでした。
「何も言えない!」とこみあげる涙ぐみながらインタビューに答えていたのが印象的でした。
ここ数年はライバルに負け続けていたことや、必ずしも万全に過ごしてこれたわけではなかったことなど、苦労を重ねたことが多かったからこそ、終わった後のその喜びが大きかったのでしょう。
しかし、もっと鮮やかな記録を紹介したいと思います。
私たち摂理の鄭明析(チョンミョンソク)先生も「困難が大きいほど、希望も大きい」とおっしゃいました。
皆がいつでも自由に、神様にお祈りしたり、賛美したりという、神様と向き合う時間場所を提供しようと、先生の故郷を少しずつ土地を周囲から買い取りながら、自ら開発に携わってこられました。
集まってくる救いを求めてくる一人一人の問題を解いてくださるには、何時から何時まで借りられるという公共の施設では限界があったのです。
しかも、ただ場所を造るのではなく、神様に喜んでいただく、栄光を帰す場所として、その貴重な人生の歳月を捧げ、血と汗と涙、そして苦労の真心を注ぎ込み、自ら先頭に立って弟子たちと聖殿を造りあげました。
私はその姿を見ました。
人が認めるのではなく、神様に認めていただく作品を造るのですから、並大抵の苦労ではありませんでした。
クレーンで何とか積み上げる何十トンもする岩を、セメントで積み重ねていくような安易なものではなく、自然に岩を積み重ねていくのです。
造園の専門家も絶対不可能だといって逃げ出したくらいでした。
何もない草ぼうぼうの地を一から開発しました。
「雨が降るからといって食事をしないだろうか」とおっしゃり、豪雨の日も嵐の日も休まずに工事を進めました。
そしてようやく完成したかと思ったら、豪雨の水で地盤が弱くなって崩れたりしました。
死ぬような思いで終わった!と思ったら、それがだめになって一から始めなければいけない!
しかも神様のためにとやったことなのに。どれだけ力を失うでしょうか。
42キロフルマラソンをしていい記録でゴールしたと思ったら、記録に撮れていなかったから1時間後にまた走ってほしいと言われて走ることができるでしょうか。
しかも神様に全てを捧げ、神様が働かれる神様の人なのに、うまくいかないのは先生が何か間違っているし、神様の御心ではないと思われるといった周囲の声や視線がどれだけプレッシャーだったでしょうか。
それでも最後まで突き進める中で、結果4回も崩れた岩の造景を、その都度立て直してきました。
神様の人だとしても、お祈りしてぱっと全てことがかなうわけではないのです。
その代わり、毎回立て直すごとに、より神様の作品にふさわしい、人が造れる限界を超えた作品を造れるようになりました。
「たとえ岩が崩れても、私の心が崩れたわけではないから、また頑張ろう」と突き進めたのです。
その超人的な精神によって10年立った今も崩れない岩の造景となりました。
千年残る作品を造ったのです。
誰だとしても挫折してもおかしくない状況を、むしろより理想的なものを造ることで乗り越えてこられました。
「構想は神様、感動は聖霊様、保護はイエス=キリスト、実践は私と弟子達」だと、記念に記されています。
摂理では、その先生の精神を学び、
一人ひとりが人生という作品を開発し、神様が認めてくださるような立派な人生を目指します。
そのためにもがくことも多く、それまで生きてきた自分の限界を何度も乗り越えなければいけない場面にも遭遇します。
学生でも若い人でも、大きなことをコーチを受けながらも任され、またただこなすのではなく神様の満足される次元を目指して、お祈りし神様に願い求めながら、兄弟姉妹と支えあいながら、そこで神様が起こしてくださる御業をなしていくのです。
そのもがきの中で、あきらめて摂理での信仰をあきらめる人も残念ながら出てきます。
しかし乗り越えるたびに、自分ひとりでは乗り越えられなかった人生の壁を乗り越えて、より理想的な自分という人生の傑作品をつくっていくのです。
私たち一人ひとりがかつての人生で得られなかったものを、先生の教えである御言葉を実践することで、神様の作品として人生を美しくライトアップさせ、その喜びはかつての人生の何よりも大きいものになります。
その彩りと輝きは、オリンピック開会式の美を超えると自信を持っていえます。
それが神様の摂理、歴史です。
この世で天国を成せる人が、永遠のあの世の世界にいっても天国の住人になれるのです。
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