ある日、自転車のブレーキが切断されていた。
たまたま駐輪していた場所が、誰かの気に入らなかったのだろう。
世の中には、一方的に危害を加える人がいる。
そんなこと、あたりまえのことだけど、なんだか悲しくなった。
何でもないことかもしれないけれど、なんだか悲しくなった。
仕方なく、地下鉄を使おうと歩いていった。
その時、地下鉄の入り口が工事のため、いつもの半分の狭さになっていた。
ただでさえ広くない場所だったので、昇る人と降りる人の二人分のスペースしかなかった。
そこで、前方で誰かがつかえていた。
ベビーカーに赤ちゃんを乗せた、若いお母さんだった。
その後ろにタオルを頭に巻いた若い工事現場のお兄さんがいた。
「持ちましょうか?」
彼は軽々とベビーカーを運び、階段の下まで降りていった。
その光景に、私は何だか優しい気持ちになった。
その後、ギュウギュウ詰めの電車に乗ったら、白い杖で足元を探りながら、
視覚障害の方が電車に乗り込んできました。
すると、周りの人は、ギュウギュウにも関わらず、
一生懸命踏ん張って
その人の周囲にはゆったりとしたスペースができていました。
私は日本人の優しさを見ました。
誰かを優しい気持ちにさせる人がいる。
逆に悲しい思いにさせる人もいる。
どちらの側にたって生きるのか
自分で決めることだ。
摂理のことを良く知らないで
初めから悪意をもって、ニュースを「見せる」人もいる。
そのニュースに摂理の人の心は傷つく。
先生の御言葉に力を受けるから、また教会から受ける恵みが大きいから
自分で選択して摂理の教会に通っているのに。
人を傷つけ、悲しい思いにさせるのか
人を慰め、優しい気持ちにさせるのか
どちらの側にたって生きるのか
自分で決めることだ。