主題;これを行ないなさい
本文;マタイによる福音書5:19-20、7:22-27、ガラテヤ人への手紙5:22-23
説教をするとき、文章で伝えるより直接人が現れて、短い時間だとしても話をするなら、聴く人がはるかに理解しやすく、実感が湧くでしょう。だから以前、山で祈ったとき、イエス様が私に直接現れて、一度だけでも説教をして下さいとお祈りをしました。その後イエス様が現れて説教をして下さり、それ以降、聖書を読むたびにより深く悟るようになりました。その当時の状況がよみがえるようになり、よりいっそう現実的に感じられたりもしました。文章と言葉に差があるように、霊界で見るのと肉界で見るのにも差があり、感じも違います。
明け方に祈った時、「これを行なって生きる人」という単語と「これを行なわずに生きる人」という単語が、刃物のように鋭く浮かんで悟らせて下さいました。これを霊的な現象で話すと、「ある人が私に現れて、運転できるかと訊きました。私の霊が、他の車も運転しているから、原理が同じだから運転できるのではないかと言いました。そしてその車に乗ってゆっくり運転して、路地から大きな道路へと運転して出て来ました。ところがいつのまにか私はオートバイに乗って砂利道を走っていました。走り過ぎたから停めなくてはいけないのに、停まらなくて危険でした。分かってみると、アクセルを踏みながらブレーキも踏まなくてはいけないのに、アクセルだけずっと踏んで走っていました。結局、目的地に到着しましたが、私が期待した通りになりませんでした。」
オートバイを止めようとしても止まらなかった現象は、自制できなくて自分の考えどおりに行なう人たちが多いという啓示でした。自制できずに行なう人たちは、信仰生活をしながらも自制できなくて自分の考えどおりにない続けると、信仰において重傷を負ったり、死ぬことになるということです。だから自制しなさいと言うのです。主の御言葉を行なわずに生きる人は、新型車がオートバイに変わって土の道路から砂利道へと自制できずに走るような、危険な信仰人たちです。
自分の現実と功績にしたがって、飛行機に乗って行ったり、自家用車に乗って行ったり、オートバイに乗って行ったり、自転車に乗って行ったり、あるいは歩いて行くこととして見せてくれます。
だから誰でも自分をきれいに磨いてつくらなくてはいけません。自分の信仰生活をうまくしなくてはいけません。
私たちの摂理世界では、各国みな、天から責任を任されて使命をもらった指導者たちがいますが、時々その人たちが使命を主権で行なうことがあります。こういう人たちは、神様の理想世界で使命を持って、世の中の人々がするように軍隊の階級主義で行なう人たちであり、このような人たちは天国の生活ができない人たちです。
責任と職責をもらった分、イエス様の代わりによく接してあげて生きるべきです。すなわち、他の人たちのために生きてあげ、犠牲になって助けてあげ、共にしてあげる時、使命が輝き、職責が輝き、主権と階級が輝くようになるのです。そのようにしなければ、叱られて「最も小さい人」と呼ばれるようになります。
各自、個性通りに下さった特権と得たものによって、主権を振るわないで、へりくだって、全ての人たちのために使うべきです。
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