主題;神様の人間に対する目的
本文;創世記1:27-29、ヨハネによる福音書6:27、マタイによる福音書18:22、19:29、25:34今日の根本の御言葉は、神様が人間の肉をそのかたちに、価値があり、意味があるように、目的をもって創造なさり、主もいつも私たちのために生きて下さり、私たちに希望をかけて生きていらっしゃるから、男性でも女性でもみんなその肉と霊が神様のために生き、永遠な喜びを抱いて、希望をもって生きなさいということです。
しかし人々は自分を創造なさった神様の御心を知らず、世の中を創造した目的を知らず、肉体を持って見える世界だけのために命を尽くして生きています。
この世に生きる間、毎日肉だけのために生きていく人々は、現実に肉に対する欲望と希望ばかり燃やして、さらに肉だけのために生きていきます。
霊のために生きることを知らなくてはいけません。それが人生の道を見つけた人です。肉体のために生きてこそ、肉体が存在するように、自分の霊のために自分が生きなければ、霊が存在できません。ちょうど田畑を管理しなければ雑草の土地になるように、霊も霊のために生きなければ雑草のような霊になります。徹底的な管理をしなくてはいけないし、霊のために生きてあげなくてはいけません。肉体が食べて生活することは、霊のためにすべきです。こういう人は、永遠な世界のために希望を積んで生きる人です。
霊のためのこととは、主を救い主として信じ、その方の御言葉を喜んで、神様を愛し、敬い、貴く思い、感謝して御言葉を聴き、その御心を実践して主と共に生きる生き方です。乞食のラザロは、肉体が生きていくのが大変でも霊のために生きたので、結局天の国へ行きました。
食べて、着て、寝て、運動して、肉体のために健康で甲斐を持って全面的に暮らすように、肉体が神様の栄光と自分の霊のために御言葉を聴いて実践し、神様を愛し、感謝し、讃美し、神様の愛する人になって生きるべきです。そういう生き方がまさに霊のために生きる生き方です。リズムが崩れてはいけません。
霊は見えないから、自分の肉が第2の霊だと思い、いつも見守って生きるべきです。そして自分の霊の心を分からないから自分の精神が霊の精神だと思って生きるべきです。心を通して自分の霊について悟り、学ばなくてはいけません。
イエス様は、十字架の上でその苦痛を受けながら全ての人々の苦痛をお分かりになり、その霊魂と肉体を哀れに思って神様に祈り、救い出して下さいました。その時でなければ救う期間がなかったと言いました。自分が苦痛を受けるとき、相手の苦痛について悟って救うものです。
誰でも、救ってこそ救いが成されるものです。そのまま放っておいたら皆自分の道へと行ってしまいます。主が十字架の苦痛を通して万民の苦痛をさらにお分かりになり、祈って万民のために生きてあげ、救われたように、私たちも自分たちの苦痛を通して自分の霊の苦痛を知り、兄弟たちの苦痛を悟り、祈って救い、様々な問題を解決してあげる人たちになることを願います。

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