この年になると家の心配をしないといけません。
私自身は飽きっぽい性格の次男坊ということもあり、個人的好みで言えば、各地転々の生活が楽しいように思われます。でもそれが御心に沿うかはわからないし、家庭を持つとどこかに落ち着き先を決めなければならないのは確かなようです。
メンバーの中にはすでに家を購入したり、定住地を決められた方もおられるでしょう。
できれば教会の近くに住居を得るにこしたことはないですが、さすがに東京など都心ではそれがかなり難しい状況。郊外などに住居を求めるメンバーも多い様子。関西は比較的値段がマシのようなので、まだ教会の近くに住むのは可能のようです。
一戸建か賃貸か?どちらにせよ都会では予算が同じならどれも似た物件ばかり、選り好みしている余地はないですね、住めば都。しかし雑誌など見ると、世間の人の家へのこだわりは大したものです。
立地、間取り、仕様・・確かに人間、気に入った地で、居心地の良い家に住めたらそれは祝福というものでしょう。世間様には赤い糸の恋人を捜すように、世界中を回って自分の居場所を探す人もいるかも知れません・・でも何事も極めようとすると「キリがない」ことです。
人間立って半畳寝て一畳。ソロモンも贅を尽くして宮殿を建てましたが、心を満たすものではなかったと伝道の書に書いてます。信仰者の悪い癖かもしれませんが、私もTVで豪邸拝見など見ても、「はー、結構でございますね。で、だから何なの?」という心も生じてしまいます(逆立ちしてもそんな家を建てられる甲斐性は無いんですが)。
家が必要なのは、ある意味子育ての時期だけなんですよね。子供が巣立ち、夫婦だけなら小さいマンションでもあれば十分だし便利です(持ち家は維持管理が大変)。
また、私個人からすれば「休日は庭で子供が犬と戯れ、パパは洗車」なんて風景はあまり想像できません。摂理人は多忙だからあれこれ出回っているイメージしか思い浮かばず、たとえこだわった家を建てても宝の持ち腐れ、なんてことに?
うーん、発想が前半期的なのかな?自宅でも伝道のため人を招いてパーティする位に、そこそこの家を得て活用しないといけないのでしょうが。別に賃貸でも良いのです。でも寄留者のアブラハムが、サラの墓地として土地を購入したことがカナンの歴史の重要なポイントだったように、やはりその土地に定着しての持ち家は必要かなぁ、なんて思ったり。
また、家を軽んじてしまう理由は、過去にマタイ16:10〜、「変身の山」の御言葉を聞いたからかも知れません。
イエス様と共に山に登ったペテロさんは、イエス様の側にモーセ、エリアの姿を見ます。
神々しい体験をして動転したペテロさん、「モーセやエリヤがいました、記念に小屋を建てましょう」、つまり素晴らしいものを見たからこの地に留まりましょうと言う訳です。
でもイエス様は深刻な話をしていたこともあるし、(キリストである私がここにいるのに、どうして旧約のモーセやエリヤに感激するのか・・)とタメ息だったそうです。
人は良い環境や出来事があるとその場に落ち着いてしまいがちですが、大事なのは今を生きるイエス様と共に行動すること、という話です。
今週の水曜日の御言葉にも「旅人のような人生」という話もありました。こういう訳で、摂理では「ここに小屋を建てて住みましょう」というのは禁句?でした。お金は宣教に活かし、立派な家や聖殿を所有するということはしてきませんでした。
もちろん万物主管の意味では、地域を愛したり神様の創造物を活用するのは正しいです。皆が皆、借家ばかりでは社会的立場にも困ります。メンバーによっては良い家を得て人をもてなすような働きをする方もおられるでしょう。
ウォルミョンドンはどうか?という意見もあると思います。でもウォルは大勢のメンバー達が常時集まれる場所が必要で、また祈りの地という目的もありつくられた場所です。先生のお母さんが住む家がありますが、これも先生が管理事務所も兼ねて神様にお願いして作らせてもらったもので、最初は神様に「どうして家が要るのか」と反対されたとか。
ここは神様のために先生をはじめ、メンバー達が心を尽くして建てた場所ではありますが、決して豪華絢爛な神殿があるとかではありません。神様自らが構想して先生に作りなさいと言われた自然聖殿であり、御心がある場所なのです。そういう意味ではエルサレムのような核心地であり、神様が土地を得なさいと言われた珍しい例です。
御心の地に住まうことが、信仰者にとっては一番なのでしょうね。摂理のリーダーは担当地区交代もあるのですが、命のために頑張ったり、想いのこもった地域は、離れたくない気持ちになると聞いたこともあります。そういう意味で土地に愛着を持つ心情も決して悪くはないのでしょう。
里心と言うなら私たちの本当の故郷、天の世界ではイエス様の家もあり、とてつもなく大きなお屋敷とか。またイエス様が弟子たちに「住まいを用意している」と言われました。私たちも天に行ったら自分の家があるかも知れませんが、肉体の時の家より小さかったら・・笑えませんねぇ。
どちらにせよ家を持つのはお金もかかるし、悩ましい問題。住居を縮小版のミニ聖殿と考えると邪険にもできませんが、メンバーによっても考え方は人それぞれです。「便利だからここでいいじゃん」という節操のない人もいれば、「私が住むに相応しい地があるはず」と祈り倒している人もいるかも。
三匹のこぶたのごとく、レンガの家を(byコリント?3:10〜)、いやそれよりも先生が今の境遇を脱して、早く「枕するところ」が得られますことを。