前章に引き続いて、みかんシリーズ。
大人気を博した学園ドラマ、『3年B組金八先生』。
このドラマを通して有名になった名言がある。
「腐ったミカン」
1個の腐ったミカンを箱の中に入れたままにしておくと、他の正常なミカンにも害を及ぼして急速に腐敗していく。
これは、いわゆる不良生徒が周囲に与える悪影響を形容した表現であって、決して良い言葉とは言えない。
先日、農夫も箱単位で購入した際に、青カビと化した2つのミカンを発見してショックを受けた。
それを通して受けた啓示が、「善悪分立」だ。
神様の歴史では、より善の側がより悪の側を引っ張って導いていく。
故障車を牽引していく車を思い浮かべると、より分かりやすいだろう。
これは、善も悪も救おうとする神様の御旨であり法則だと言える。
精神も霊魂も、決心次第では日々新たに生まれ変わっていくことが可能ではあるが、肉的には腐りきってしまったものが再び回復するのは難しい。(参照/ヨハネによる福音書3:1~8)
「神様が人間を愛しているのなら、なぜ地獄に落とすのか」という議論があるが、元々神様が地獄を創造したのではなく、地獄とは人間の責任分担と罪によって生じた世界なのである。
最近は御言葉の中でも、既成のクリスチャンが執筆した『天国は本当にあります』や『地獄についての神の啓示』の本が頻繁に取り上げられ、摂理でも地獄についての関心が特に高まっている。
その本の中で、農夫が衝撃を受けた箇所があった。
「地獄に落ちてしまった霊魂でさえも、キリストは今なお彼らを愛している」
神様やキリストが人間を見捨てたのではなく、人間の側が自らキリストを背信し棄ててしまうのである。
御言葉の中にも、「患難の中で、人間の方から諦めてキリストの手を離してしまった」とあった。
地獄とは、元々予定されていなかった世界。
縮小して考えてみるなら、ゴミ集積所だと言えよう。
ゴミ捨て場も、農作物が腐らなければ(不要な物がなければ)本来必要のない世界なのである。
腐ってしまうから、他の良品にまで被害の及ばないように分別するのである。
霊界は、波長の合う者どうしが通じあう「波長の世界」だと言われている。
ゴミ集積所も、腐った物が近づく世界だと言える。
古代中国には、人間の「性善説」と「性悪説」という概念が存在した。
人は生まれながらにして善なのか、悪なのかという議論である。
しかし、神様は全て善なるものを創造し、悪は元々予定されていなかった御心でないものだと、御言葉に出たことがある。
隠密に働く神様は、どんなに辛い環境であっても、先の見えない患難であっても、常に善なるものを予定して、輝かしい将来を我々人間に準備してくださっているのである。