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〔2009年10月11日 主日の御言葉〕1、この時代もノアやロトの時代のように、それと同じくそうだ 2、遅れるな、主がせきたてて導き出される時に早く行いなさい

Posted by 摂理のほんやくコンニャク
 
〔本文〕
ルカによる福音書17:22-30
創世記19:12-17



ハレルヤ!主の平安を祈ります。
イエス様はイスラエルで肉の体をもって弟子たちと共にいらっしゃったとき、世の終わりの日、つまり人の子が来る日について弟子たちに話して下さいました。
今日の本文の御言葉(ルカ17:22-23)を見ると、イエス様は
「私が来るその日に皆、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。いなづまが東から西へひらめき渡るように、人の子もそのように来る。」とおっしゃいました。この御言葉は
「人の子が来るとき瞬間だから見られない。」という御言葉にもなるし、「2000年後に成されるからあなたがたの肉では見られない。」という御言葉にもなります。
主の再臨は人間たちが考え想像したとおりに成されず、神様が計画なさったとおりに成されます。人々は主の再臨について、聖書の御言葉を基準としていろいろと想像しながら自分なりに考えています。引き上げについて「どういうふうに引き上げられるのか。」、「主が私たちをどのように連れて行くのだろうか。」と考えて疑問を抱きます。しかし私たちがすべきことは「どのように準備し完全に備えておこうか。」です。これが私たちにとってより急ぐことであり、必ずすべきことです。
聖書に記録されていますが、具体的に主が解釈をして下さってこそ、主が再臨なさるということを分かるし、再臨なさった主にどのようについて行くのかも分かります。

今日の本文の御言葉(ルカ17:25)を見ると、イエス様は人の子が来る前の兆候と時代の現象について語られました。
「時代が人の子に苦難を与え、人の子は捨てられるだろう。」とおっしゃいました。
イエス様がイスラエルに現れたとき、その時代は人間を救いに来られたイエス様を捨てて殺しました。その時代の人はイエス様について行く人々も捨てました。迫害し、苦難を与え、あらゆる苦痛を与えました。そしてその時代に主が遣わした使命者たちが福音を伝え、イエス様をメシアとして証すると、追い払い、排斥しました。
救い主とその方が遣わした人たちを排斥し不信したら、それ以上救いの歴史を広げることができないのです。だから結局、救おうとする人たちと救われようとする人たちが苦痛を受けるようになり、それに該当する苦痛の道を行くようになり、その時代はそれによって裁かれるようになります。
イエス様が肉の体をもって直々に福音をお伝えになったとき、歴史は花を咲かせ、希望の歴史が起こりました。しかし主は不信者たちによって十字架に付けられて亡くなり、弟子たちも苦難を受けるようになりました。主は当世にできなかったことをするために聖霊を約束なさり、使徒たちは神様が下さる聖霊の恵みを受けて最後の歴史を広げ、福音を伝えました。そして引き続き民族は大患難と戦争によって廃墟になり、滅びるようになりました。
イスラエル民族はほとんどいなくなるかのようにしました。
今この時代も、メシアでいらっしゃるイエス様がイスラエルに現れた時と同じく、時代がイエス様を排斥し顔を背けています。主を信じる宗教が機能を発揮できずに死んでいると、主は十字架を負っているのと同じで、時代の使命者たちも捨てられ排斥されます。
私たちが主を信じると言いますが、霊で見ると主の心情を分からずに世の中に溺れて肉的に自分の思い通りに生きています。私たちのその罪によって十字架を負っていらっしゃいます。
形式的に主を信じるから、これは主を冒涜することです。
親や、子供や、愛する人のせいで心がひどく痛むことや心配の種がある人は、精神的に十字架の苦痛を受けることになります。彼らが心を痛めず嬉しいことをしたら十字架の苦痛を受けずに一緒に嬉しいのです。
この時代に主を信じて生きる人たちが、罪があるのに悔い改めず御言葉に従順しなくてサタンに引っ張られて行い、死亡と暗闇に属して生きたら、主はその人を生かすために代わりに十字架の苦痛を受けることになります。主は罪人たちのために今この時代にも十字架を負っていらっしゃいます。これを悟って早く主の御言葉を聞いて従順してこそ主に苦痛を与えなくなります。
主が願われる御心どおりに従順して生きられず、主の心情を分からず、主を愛さずに生きる人たちは、主を毎日十字架に付ける人です。そういう人がどうやって主の新婦になることができ、天国に行くことができるでしょうか。だからきれいに悔い改めて主の御言葉に従順しなくてはいけません。
主が私たちの霊魂を救うためには代わりに十字架を負わなくてはいけないし、主が私たちの罪を代わりに負っていらっしゃるときに早く悔い改めて主と一体になれば、救われて生きることができます。しかしそうしなければ主だけ十字架の苦痛に遭うことになり、無念に終わってしまうことになります。
救いは私たちが主を信じさえすれば成されるのではありません。救い主でいらっしゃる主は想像もつかない代価をお支払いになることで私たちをお救いになるということを必ず悟らなくてはいけません。自分を救う主を十字架に付けておいてサタンと交わって生きる無知な行為を教えてあげたから、もう止めて主に従順しなくてはいけません。
メシアでいらっしゃる主の価値を分からなくては救われることもできないし、救いを受けたとしても喪失することになります。人生、一生の間もがいて救いを成すのです。一生もがいて救いを得ても救われさえしたなら永遠な有益です。永遠に天国で暮らすからです。

人間の体が汚れたら洗えばきれいになります。服が汚れたら新しい服に着替えたり洗濯して着ればきれいになります。人間の心と行いが腐敗して汚れたら悔い改めてこそなくなります。悔い改めることによって贖罪しなくてはいけません。永遠に罪をなくして下さるイエス様の御名で神様に一つ一つ告げて悔い改めて赦してもらわなくてはいけません。
そしてその後には主がさせるとおりに従順しながら生きなくてはいけません。イエス様を救い主として信じ、救われてこそ、自分の霊が天国に行くということをはっきりと信じて生きなくてはいけません。そして肉もそれによってこの世に生きながら完全に天に属した人になって義のある人に生まれ変わり、新しく生きなくてはいけません。主に救われた人は主の御心どおりにだけ生きなくてはいけません。これが「救われた生活の証票」です。
いつの時代でも腐敗し、汚くなり、真より偽りの中に生き、人間を中心として生き、人間の感情のままに天を遠ざけ、肉的に生きると、神様がその時代に遣わした人まで苦痛を受けることになります。
神様がお裁きになる前、最後の時を見ると、その時代の人々は最後の行為をします。縮小して個人を見ても、個人の最後の時になると、特に滅亡に行く人はこの上なく肉的に自分の考えと感情のままに生き、自分が好きなことに溺れて生きます。
聖書を見ると、終末の時に現れる兆候について出てきます。自分を劇的に愛し、異性に劇的に溺れて暮らし、お金と物質を愛し、愛が冷めて冷酷になり、人々に残忍に過酷に接して人生を生きると言いました。これによって乱れるままに乱れ汚れた人々と使いようのない世の中になるかと思って神様は手を付けられます。
人間たちの乱れた心と行いに神様が手をお付けになる時は兆候が現れます。あちこち自然を通しての災害と苦痛の現象が起こり、病気が生じ、戦争が起こり、人と物質の間に失望することが起こって希望が壊れます。そうして終局には裁きの日が迫って滅亡することになります。悪の世界が裁かれると、ノアの時代のノアのように、ソドムとゴモラの町のロトのように、より義なる人たちが残されてまた歴史を広げるようになります。
今日の本文の御言葉に出てくるノアの時代とロトの時代のように、2千年前イエス様がイスラエルに現れたときも、ちょうどノアの時代と同じだったし、ロトの時代と同じでした。みんな裁かれるその日を知りませんでした。
終末の時その時代を見ると、ちょうど裁かれる前のノアの時代とロトの時代の人々と同じく、義が底をつき、不義は天までそびえ、義人を探しても見出せません。ロトの時代にも数十万人の中に義人を探しましたが、義人十人がいなかったし、ノアの時代にも実際義人十人がいませんでした。ロトの時代には義人がやっとロトとその娘二人の、三人だったし、ノアの時代にはやっとノアの家族八人だけでした。彼らだけが肉体も生き、霊魂も生きる救いを受けました。
義人はそのように稀です。
義人一人がどうするかによって一つの町や一つの民族の運命が左右されます。義人が金とダイヤモンド、トラック一台分よりも貴いということを知らずに生きています。神様と主がご覧になると義人はすべての国家や社会や都市で本当に貴い人として宝物トラック十台分よりも貴く価値あるように神様と主がお使いになります。ところがこの世はこのことを知らずに生きています。
義人が裁かれる人たちの運命をどれほど左右するのか悟らなくてはいけません。義人のおかげで死ぬべき人が生き、義人のおかげで神様の裁きが左右されるということです。ロトの時代、ノアの時代、イエス様の時代もそうでした。どの民族、どの都市も同じです。
この世で今まで神様をよく信じ、イエス様を愛しながら暮らしている地域なのに無念にも裁かれたところがありますか。過去を振り返って、神様の裁きを受けたと思う地域を思い浮かべてみて下さい。どんな地域だったのか見て下さい。果たして神様を愛して生きている所だったのか、偶像に仕える所だったのか、互いに憎んで争っていた所なのか、神様の御心どおりに生きるより自分たちが好むとおりに生きていた所だったのか、みんな考えてみて下さい。
悟って学んでこそ神様をもっと知って信じるようになります。

この世に目を開いた人は、この世を発見してそれを享受しながら満足して生きます。天の世界に目を開いた人は、天の世界を発見してその世界に行ってこそ満足します。
この世のすべての物が自分の物だとしても死んだら終わってしまいます。この世でどんな栄光を享受した人も、天の国、天国に行けずに死亡の地獄のほうへ行くとしたら、地獄に行ったとき、この世で甲斐を享受したことがたったの1分も有益になりません。すべて後悔されるだけです。
この世で享受した栄光がすべて過酷な後悔として戻ってきます。
この世で90歳まで生きたある人が、富み、栄華を享受し尽くして、この世であらゆるものを享受し尽くして生きたとしても、その霊魂が天国の救いを受けられずに地獄へ行くとしたら、その人を見て絶対に幸せだとは言いません。地球世界がみんなその人を見てうらやみ、幸せな人だと言っても、その人を見て絶対に幸せな人だとは言いません。幸せとは、永遠にずっと幸せであってこそ幸せだというものです。縮小して人生の一日を見ましょうか。ある人が一日中、富み・栄華と名誉を享受して一日を過ごすから、自分も人々もみんな幸せだと言いました。ところが翌日に死んでその霊魂が地獄へ行きました。果たしてその人生が幸せな人生だと言えますか。
「不幸になるために昨日あのように生きたんだ。地獄を前にしてあの世の使者のご飯を食べたんだ。」と言うでしょう。
人生を分かって生きなくてはいけません。分かって享受しなくてはいけません。分かって話し、主張しなくてはいけません。
人生一生を縮小して、一日を生きるときに、空腹と貧しさと踏みにじられることの中で、誰一人分かってくれる人もいなくてさびしく生きる人がいます。その人は着ることができず、食べることができず、享受することができず、あらゆる苦痛を受けながらもイエス様を信じて楽しんで、それでも幸せだと言って生きました。その人も死にました。その霊魂が天国に行きました。永遠に幸せな世界へ行きました。
「あの人の一日は天国に行くためのもがきの生き方だった。」と言うでしょう。その人の苦痛も実際は幸せな生き方だったのです。

神様はアブラハムと義人について対話なさり、すぐに天使をソドムとゴモラの町に遣わされました。旅人のような彼らが城門を通過して、日が薄明るい頃に町の人々に道を尋ねると、人々が道を教えてくれました。道を尋ねた人たちは、神様が遣わした天使たちでした。天使が人間のように見えて対話するからみんな分からないでしょう。そういうことがよくあります。現実にもあります。
神様が遣わした天使たちに道を教えてくれた人たちの中の一人はロトでした。
ロトは彼らを丁重にもてなしました。
ロトは家に帰って天使たちに食事をご馳走しました。彼らは「遠い道を来て疲れているからもう寝ます。」と言いました。このとき町の人々がロトの家を取り囲んでロトを呼び出し「あなたの家に来た人はどこにいるのか。私たちは彼らを把握しなくてはいけない。この町に害を与えに来た人ではないのか。」と言いました。ロトは絶対違うと言いましたが、町の人々は過酷にロトを押しのけました。
ロトは「私に二人の娘がいるが、男を近づけたこともない。あなたがたが連れて行って好きなように行いなさい。そして私の家に来たあの人たちは私が責任を負って一晩泊めて見送ろうと連れて来たからどうか手を付けないでくれ。ただ寝るところがない旅人をもてなそうと思うと言ったのに、あなたがたがこんなふうにしたらどうなるんだ。絶対だめだ。」と言いました。
ロトは客のもてなしをこのように立派にしました。このくらいにしてこそ客をもてなしたと言うのです。食べる物だけもてなすのが全てではありません。天使たちもロトの義なる行為を見ました。自分の娘たちまで犠牲にしながら自分たちを助けるその責任分担の行為を見ました。ロトは平素いつもそのようにしていて、この日はソドムとゴモラの町を裁くために神様が遣わされた天使たちを家に案内してもてなしたのです。
町の人々はロトの言葉を信じず、ロトを押しのけて戸を引っ張り篭城をしながら平素の行為どおりに血気を振るって荒々しくしました。彼らが最後に戸を引っ張る瞬間、部屋にいた天使たちが見かねて出て行って彼らを押しのけ、ロトの手をつかんで部屋の中へ引き込み、外にいる人たちの目を暗くして何も見えないようにしました。
彼らは見えないから出入り口を越えられなくて転び、結局散らばりました。
天使たちがロトに
「ロトよ、あなたに属している人がここに見える人でなくもっといますか。あなたの婿や、嫁がせた娘や、兄弟たちがいるなら、早く呼び集めて下さい。エホバ神様が今日の夜この町を滅ぼしなさいと私たちを遣わされました。私たちは神様の使者たちです。ロトよ、早くあなたに属している人たちを探して集めて下さい。」と言いました。
ロトはとても驚きました。天使たちは
「時間がありません。迅速に動かなくてはいけません。夜明け前にこの町を抜け出さなくては助かりません。」と言って急いでいる話をしました。ロトはすぐに娘たちと婚約している婿たちのところに行って、神様がこの町を滅ぼすから早く抜け出さなくてはいけないと言いました。しかしその言葉を信じず冗談だと思いました。
ロトがそのまま家に帰って来ると、神様の使者たちである天使たちが
「では、ここにいる娘たちとあなたの妻と共にここを離れて下さい。エホバがすぐにこの町を滅ぼされます。引越しの荷物も包まないで体だけ行かなくてはいけません。何も手に持たずに明け方、東の空が明るくなるときに離れなくてはいけません。今から妻の手を取って下さい。二人の娘の手を取って下さい。時間がありません。この町を離れて行きながら振り返って眺めたり止まっていたら滅亡を避けることができません。あそこの山まで、最後まで急いで行かなくてはいけません。」と言いました。
このときロトは遅れていました。このとき天使が急ぐ言葉で急き立てました。
「今がいつの時代だと思って他の事を考えて余裕を見せているのですか。緊張して稲妻のように行わなくては助かりません。時間がありません。」と言いました。
天使はいろいろとせっぱ詰まって死ぬという話をしましたが、ロトが引き続き遅れているのでだめだと思って最後にロトとその妻と娘たちの手をつかんでその家から引っ張り出しました。
現実に主と天使たちが私たちに行われる立場と同じです。いろいろとせっぱ詰まった話をしても遅れている私たちをご覧になって結局主は私たちの手をつかんで引っ張り出していらっしゃいます。霊的に見ると、主は言葉で言ってもだめだから手を引っ張って連れて来られます。
肉的に見ると、伝道者や使役者たちによって手をつかんでその位置から引っ張って来られます。
結局ロトとその家族は天使たちの手に導かれて家から出て来ました。天使が「行く途中で後ろを振り返ったり、行く途中で止まったりしたら命を保つことができません。あそこに見える山まで振り返らないで最後まで行かなくてはいけません。」と言いました。結局天使はロトの家族四人を見送りました。
神様が定めた時間、その日とその時は誰も分からないという、その時間になりました。ロトとその妻と二人の娘たちがその町から逃げるとすぐ、空から火の雨が降り注ぎ始めました。火の雨は町全体を覆って一人も残らず、アリの子一匹も残らず、生きのあるものたちは全て火で燃やしました。地下まで溶鉱炉のようになってしまいました。
どれほどすさまじく瞬く間にソドムとゴモラの町が火の海になったのか、それと類似したポンペイの遺跡を通して想像することができます。人々が焼け死んだりもしましたが、男女が抱きしめたままで固まって花崗岩になったりもしました。後世にも見なさいとそのようにしたのです。
その町は火山による灰の山が12mも高く積もっていて、男女が抱きしめている姿が残っていて、彼らが神様がごらんになるとどれほど腐敗し不法を行なって生きたのか、そのときの生活の様子と痕跡がそのまま残って証しています。一瞬でそのようになったのです。
ロトの妻はあれほどにも天使が後ろを振り返るなと言ったのに後ろを振り返って塩の柱になってしまいました。どうして振り返ったのでしょうか。天使の言葉を信じられなかったから、死を懸けて振り返り、燃える町を眺めていたのです。

今は主が皆の手をつかんでお導きになります。
悟ってこそ、神様が行われることなのか、偶然に起こることなのか、聖書にすでに記録された時が来たのか、再臨による現象なのか、分かるようになります。
主が遅れている私たちの手をつかんで導き出される時です。止まっていたり振り返って見ないで行かなくてはいけません。
聖書のらい病人たちが、イエス様が通り過ぎられるときに「ナザレのイエスよ、私を救って下さい。」と言ったように呼ばなくてはいけません。(マタイ8:2-3、マルコ10:47-52)
そのとき主を呼んだらい病人たちはみんな治って一生喜んで生きたし、そのとき呼ばなかった人たちはらい病を患って死にました。生きていたときも地獄の苦痛を受けながらいろいろと卑しんでないがしろにされて暮らして死んだし、死んだ後にもその霊魂が地獄の苦痛を受けることになったのです。いつの時代でも、王の王でいらっしゃるイエス様の前に条件を立てるべきことは誰でも同じであり、自分が呼び求めて信じる条件を立ててこそ主がお救いになります。
呼んで信じる条件を立ててこそ主がお救いになります。
今は心から主を呼んで生きなくてはならない時です。




元記事はこちらですhttp://http://www.hananim.or.kr/mboard.php?bcode=god_word&mode=read&page=1&cat=&part=&keyword=&bidx=111754
2009-10-16 9:49


297

ハレルヤ アーメン 275 P  
リンクURL
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