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イッテ・デ・シニセ・ヨ!! その1 |
| Posted by 摂理のぶどう園 〜これだから信仰はやめられない〜 |
最近、伝道が調子良くいっているという話を耳にします。
私の身の周りでもそうです。表現は良くないかもですが、本当に「入れ食い」の感じですね。
少し前、ストイコビッチ監督がコートから飛んできたボールに思わず反応して蹴り返すと、そのままゴールに入り、周囲を驚嘆させた出来事がありました。
監督は退場処分となりましたが(笑)、監督のようにイエス様が今までの範囲を超え、絶対的な力を持って助けてくださっているようです。
もちろん楽して伝道、という訳ではなく、皆さんの労苦と忍耐があってこそ。そして「後がない」状況での伝道は、正直、複雑な気持ちもあるのは確か。
イラクの子供達の支援のためにチャリティコンサートを開いたという、ネットのニュースの記事があったのだけど、
(http://www.news.janjan.jp/world/0706/0706026515/1.php)
その中のこのような表現があった。
『音楽に人を癒す力はない。なぜなら、もし音楽にそんな力があるのなら、世界はとっくに平和になっているはずだからだ」そんなことばを述べるダライ・ラマを、深町さんは好きなのだと言う。それでいながらダライ・ラマは、世界各地でコンサート開催を呼び掛ける。そう、音楽というものは、芸術というものは、ダライ・ラマが持つような、この矛盾を孕みながらでなければ、真の音楽、真の芸術ではあり得ないのだと思う。この矛盾を放棄したのなら、そのアーティストは、芸術ファシストかただの技術屋に成り下がるのだと思う』
⇒宗教があれば、すぐに世界全てが良くなるように思えるけど、現実はそうではない。理想だけを伝えても歯の浮いた言葉にしかならない。本当に相手の苦悩や気持ちを理解し、対話し、祈ってあげないと福音は伝わらない。
『もし本当に世界の苦しみのために役立つことをしたいのなら、こんなところで音楽なんか、やっていられないと言う。でも、この日、ステージで演奏したのは、それでももし、自分がここでピアノを弾くことがなにかの役に立つのならば……という思いからだ』
⇒祈りや神様への讃美など、霊的世界への投資がいかに大切かわかってはいるつもりである。でも見えない世界なので、実際のボランティアなどと比べて人助けになっているのか、自分のような足りない存在が役立つのか悩んだりもする。それでもイエス様の心情を感じて動かざるをえない。
『人道支援の現場って、人を助けるよりも、助ける人を選ぶ、そういう仕事ですよね』
⇒本当は全部の人を救いたい。でも迫る艱難を思うと、あまりに多くの人々がいる現実への無力感もなくはない。それでも一人でも神様のもとに帰るなら、という思いがある。
救いは葛藤がたくさんある戦いであるし、感動の場ではあるけれど美談の場ではないことは確かです。そして心を裸にし、神様の前に無になってこそ救いを得ることができる、「必死」の場なのです。日々滅び行く霊魂を目の当たりにしているイエス様の心情もそうでしょう。
メンバーの皆さんそうかも知れませんが、艱難が来て食料など奪い合いになるような状況では、私なんぞ人に譲ってしまい、生き延びれないでしょうね。そんな地獄絵は見たくもない。まして神様の心は如何ばかりか。何とか、この伝道の好景気(?)の時に、多くの人が戻ってこれますことを願うのです。
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