霊と肉、不可能なことはない本文 ピリピ人への手紙4章12-13節
ハレルヤ!主の平安を祈ります。
私が明け方に祈るとき、「自分自ら存在するように自力の能力を実行し、私の能力と恵みを受けて共にしなくてはいけない。」と『自力』について悟らせて下さいました。
英雄だったチンギスハンやナポレオンは、神様に仕えて生きていた人たちではありませんでした。しかしナポレオンは「不可能というものはない。」と言いながら人間の無限な可能性を見せて生きました。それだけ自力を使いながら生きたから英雄になったのです。自分の力だけではなく、人々を集めて彼らに英雄のような精神を入れてあげ、彼らもそのように生きるようにしました。だから戦争においてその精神で武装した兵士たちにかなわなかったし、その強い行動にかなわなかったのです。
神様を全く信じない無神論者たちを見ると、自力によって民族を立てて治めていきました。もし、神様とメシアを信じなくては到底生きるのが不可能であり、何もできず、存在することができないとすれば、みんな神様とイエス様を信じて求めて生きるしかないでしょう。しかし神様とイエス様を信じなくても生きることができるし、金持ちにもなるし、名誉も得るし、富み・栄華も享受するし、主権を行使して生きます。
だから神様とイエス様を信じない人たちが、信じる人たちに「現実において生きるのを見るとき、あなたがたと私たちが特別に異なることは何なのか。」と言いながら、信じる人たちに言うべき言葉を失わせます。むしろ神様とイエス様を信じなくてももっと成功し、よく享受して生きている人たちの言葉に呼応するようになります。
神様とイエス様を信じない人たちはお金、名誉、愛、権勢にだけ没頭するから、成功するのが当然です。
神様は人間を創造するとき、誰でも自力によって十分に生きていけるように創造しておかれました。人は自力によって自動機械のようにものすごい仕事をします。フォークレーン、クレーン、自動車も自動化しておけば想像もつかない仕事をします。
車は一日千里を走っても疲れたと言いません。むしろ車に座って手足を動かしながら楽に行く人間が本当に疲れたと言います。フォークレーンは一日中地面を掘り出す作業をします。月明洞でも工事現場で見たでしょう。一日中地面を掘り出して夜にまたやっても疲れたと言いません。しかし人間はフォークレーンに乗って足だけ動かし、両手だけ動かしてやっても疲れて鼻血が出るし、疲労のため病気にかかるし、大騒ぎです。
人間がどうして機械をそのように強く力があって丈夫に造ったのでしょうか。皆さんがよく知っているように、人間が楽なように丈夫に造っておいたのです。人間が苦労しないように、人間が有益なように、そのように丈夫に造っておいたのです。
これと同じく神様が人間たちを創造なさるとき、人間自らすべきことをできるように、自ら問題を解決できるように、強く創っておいたということです。神様を信じても信じなくても、誰でも人間として自ら存在できるように丈夫に創っておきました。
自動車会社で車を造るとき、どの車もその車に該当するエンジンを入れてやり、その車に該当するだけの機能を作って送り出します。神様も人間をお創りになるとき、男性と女性として、その人に該当するとおりに創って送り出されました。使命どおりに十分にやり遂げるように、精神と肉体を作って送り出されました。
神様と主がいつも加担なさらなくても人間自ら十分に想像もつかない仕事をすることができるように創造なさったということを分かって、自らやればできるということです。みんな信仰の英雄、人生の英雄になって生きられるように創っておかれました。だから「どうしてあの人は神様も信じていないのに成功してものすごいことをしているんだろう。」と言って疑わしく思う必要はないということです。それこそ人間として不可能なことがないくらいにできるということです。
神様だけ仰ぎ見て、神様だけ待ち望みながらじっとしていてはいけません。しかし神様だけ仰ぎ見ながらじっとしている人たちが、信じている人たちほど多すぎます。神様と主の御心を悟って御言葉を聴いたら、その御言葉どおりにさらに英雄のように生きなくてはいけません。
人間としてよく食べて、よく着て、名誉と権勢を持って、英雄やスターになって富み・栄華を享受することができます。神様がそのように祝福して創造しておかれたからです。創世記を見ると、「生めよ、ふえよ、万物を治めよ。」とおっしゃいました。だから漠然と神様と主だけ仰ぎ見ないで、強くやりなさいということです。
戦争のときも全く同じです。全ての人々の自力を合わせて神様の御心を求めて行なえばダビデのように勝ちます。ダビデは天の側だったし、戦争のときに命を尽くして神様に頼り、自力を尽くして戦ったから勝ったのです。自分の自力ですべきことをしないで、神様ばかり頼っていくと勝てません。なぜですか。人間の責任を果たさずに行なったからできません。
人間の責任がどれほど大きな威力と勢力なのかご存知ですか。人間の責任を果たさずに主を呼んでみて下さい。主は約束どおりに共になさり、働きかけて下さいます。ところが結局敗れます。それは神様が人間を創造なさるとき、自ら行なうように絶対的な自力を下さったのに、その自力の法度にしたがって行なわなかったからです。
今まで主がクリスチャンたちと共になさって恵みを受けて生きてきたのに、どうして信仰において敗れ、倒れ、失敗者になる人たちがいますか。主に切に求めることで主が共にして下さったし、主が私たちを愛され、私たちが主を愛することで主が共になさって恵みを下さいました。しかし自分の責任を果たさなくて人生が変わらなかったので、自分の勝利をできなかったのです。主が火のように下さるときだけ存在していたのです。クリスチャンたちの中にはこのような信仰人たちが多すぎるということです。
神様と主を信じない人たちが誰も頼らずに劇的に行なうように、クリスチャンたち皆そのようにしなさいということです。
最初に信仰を始めるときは自力の火がついていたのに、時間が過ぎてだんだん火が冷めて、自分はじっとしていて神様ばかり頼り、主ばかり呼ぶから弱くなるのです。
自分の自力の能力を行なわず主の恵みと愛ばかり受けた人は、自分の心の器に冷たい水があってそこに熱い湯をもらったのと同じですぐに冷めてしまいます。心が冷めないように続けて主の御言葉どおりに熱く自力の働きを起こさなくてはいけません。
自力の能力、精神の能力、行動の能力、霊の能力を最大に発揮しながら神様の能力と御働きを受けなくてはいけません。これは絶対的な理論です。
今日は自力の力とその能力の限界について話し、またそれに対する答えをしてあげました。自分の責任を果たさず、無限な能力を使わずに、神様とイエス様が下さるものばかりもらっては弱いということです。神様が皆に自力の力を無限に下さったから、各自実践しながら、神様と主を呼びながら行なって下さい。

元記事はこちらです
http://cgm.or.kr/