個人的なことですが。
マタイによる福音書5章22節。
しかし、私はあなた方に言う。兄弟に対して怒るものは、誰でも裁判を受けねばならない。兄弟に対して愚か者というものは、議会に引き渡されるであろう。また、ばか者というものは、地獄の火に投げ込まれるであろう。
さらに44節
しかし、私はあなたがたに言う。敵を愛し、迫害するもののために祈れ。
最近の説教で地獄の苦しみについて説かれることがありました。曰く、あなたが地獄の苦しみを少しでも味わったならば罪を犯さないように必死でもがくだろうに、と。また、その苦しみは、本当の地獄の苦しみに比べたらなんでもない程度 (それだけ地獄は恐ろしい) と。
私自身は、地獄の苦しみというほどの苦しみを味わった事はない、と思っていましたが、思い出したことがあります。私は運動音痴で腕っ節も弱かったので、子供の頃からわりといじめられてきました。
1. 小学1年生のとき、同級生にキャメルクラッチ (ラーメンマンがブロッケンマンを真っ二つにしたやつ) で本当に真っ二つになるくらいにまでやられた時。本当にギブアップ、もうダメ、と思ってからさらに15秒くらいやられました。

2. 小学6年生のとき、塾の帰りに、やはり同級生にすごい力で手を掴まれて、鉛筆削りのナイフで「これで切ったらどうなるかな?血が出るかな?」と散々脅された時。駅の構内でのことで、私は散々泣きわめき、力いっぱい抵抗したのですが彼の力が強くて逃れられず、通りすがる人にも無視され、5分くらい泣き喚いていたらようやく大人が助けてくれて、彼は私を憎しみをこめた目で見つめながら去っていきました。
この2件は本当に印象に残っています。高校2年生くらいになってからは、いじめを受けても道理で言い返すと相手が引っ込むようになり、天国のようになりましたが、大学生の時にも一回だけ忘れられぬ仕打ちが・・・
3. ふざけあっていた時にくすぐりをされ、本当につらかったのでわりと真剣に「やめてくれ」と言ったがまったく聞き入れられなかった時。本気でキレて怒鳴り散らしてやっとやめてもらいました。
継続する肉体的苦痛、懇願しても聞き入れられない絶望、また生物として圧倒的に下に見られる屈辱感。
これは忘れていましたが確かに地獄の苦痛のちょっとしたフレーバーなのではないでしょうか。コワイネー
いずれの時も私は本気でキれ、相手を憎み、この男(いずれも、友人でした)を殺して私も死ぬ、というくらいの気持ちでした。最初に引いた聖書にあるように、このように思ってしまうことはこれはもう罪なのであります。
私たちの主はしかし、こういった苦痛にももちろん耐えて最後まで敵への愛を貫いたのでした。私たちの罪を許し、愛するために。
梵天丸もかくありたい