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主のために生きる 再び山へ |
| Posted by 摂理日記 |
徹底して神様とイエス様を仰ぎ見ていらっしゃるのが
うちの牧師先生です。
再び山へ
先生は12年間
雨の日も雪の日も、
山へ登ってお祈りの生活をされていました。
しかしあまりにもつらくて
一時、こんなものと思って下山したことがありました。
疑問が沸いてでてきたそうです。
ただお祈りして、寒さに耐えればいいわけではありませんでした。
お祈りしながら100メートル崖下に
落ちたかもしれなかったし、
親兄弟や、周りの人達が
先生に向けて指を指しました。
生死に関わる問題もありましたが、
本質的に疑問を感じ始めたのです。
これは人間ではできないことだ。
どうして私だけがこうしないといけないのか。
それでご飯がつくわけでもないし、
むしろ出て行って働いたらご飯が食べれるのではないか。
このように生きるべきではないのではないか。
到底未来が見てこなかったのです。
信仰を持って牧師やミッション系の学校教授になっても
そのように
信仰をなくして、学究的に関わっているだけの
人達を実際私も知っています。
すべての失望と挫折が頭の中に沸き起こり、
ついに下山しました。
そして、むしろ教会に通う人をあざ笑うようにまでなりました。
しかし心の中では
苦痛にさまよっていたのです。
1976年遅い秋、
ある近くの村からの帰りの明け方、
両親がおきてしまうかと思って、
何時間だけ過ごしてから帰ろうとしました。
空き家があったので、
そこに入り火をつけました。
気配がして振り返ってみると、
白い衣の人が一緒に炉にあたっていました。
背が高い人で、よくみたら
それはイエス様でした。
先生はわざと気づいていないふりをしました。
しらんぷりしながら
もう一度イエス様を見てみたら、
みすぼらしい姿でした。
先生がその服を洗ってあげたくなりました。
そうさせたのは自分のせいだと思いました。
この間、自分の服も
イエス様から自分の罪を洗ってもらえなかったので、
汚くて薄汚れているのが分かりました。
主と共にいくべき道を
行くことが出来なかったから、
このような目に遭うんだと思いました。
その寂しさと暗さ。
その時イエス様が歌を歌いました。
のどがつまる別れの歌でした。
先生は、もう一度決心し、
イエス様のために
イエス様の身体になって
福音を広げるために
人間の限界を超えて挑戦する
お祈りの修道生活をまた始めるようになりました。
イエス様もこの世にいらっしゃった時
いくらでも楽に過ごすことはできましたが、
独身で暮らし、寝る所がなければ
伝道者達の家に立ち寄って泊まり、
また時には船の上で、あるいは山の中で
しばしだけ休まれました。
食事も弟子達と道ばたで軽く召し上がり、
ただ命を救うために
御言葉を伝えることだけに専念されたのです。
主の身体となって生きる。
簡単なことではありませんが、
足りない私をもっと成長させ
使っていただきたいと願う日々です。
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