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砂漠に泉を、荒地に花を

Posted by 摂理のぶどう園 〜これだから信仰はやめられない〜
 
 

地震のあったハイチについて、曽野綾子さんが産経新聞にコラムを書いていました。

 

要約すると、『ハイチは災害の前から秩序が欠如していた・・・大統領は神父になる誓いをを捨て、結婚して政治家になった人だ(←曽野さんにはかなり不快そうな印象を感じます)・・・児童施設では子供は遊び道具も与えられず壁にもたれて時間を過ごし・・・青々とした山は薪を取るためにはげ山になっていた・・・カトリックの施設で子供たちが植えたトウモロコシは収穫直前で全部盗まれた・・・そこで働く笑顔のきれいな青年は教会のガソリンをこっそり売って生きており・・・夜の読書などに唯一の頼りだったソーラーシステムは、泥棒が白昼堂々と盗みに来て、警察は検挙の意欲も義務感も持ち合わせていない。海外誌は「神と運命に見捨てられた国」という表題を掲げたりしたが、人々は半場自国を見捨て、遠くから祖国をしのんでいたのだ』と。

 

考えさせられます。

ハイチという国に関して調べてみると、実はラテンアメリカ地域では初の独立国(アメリカ大陸でも2番目)であり、また国民の95%がクリスチャンで国教はカトリックだとか。

そのような由緒ある国なのですが、そこまで人々がすさんでいたのでしょうか。

 

人間的には、裁きについてステレオタイプ的な見方はしないようにと思っています。震災のあった神戸でも実際は善悪色々な人がいた訳ですし、ハイチだけが混乱している国ではありません。

しかし、「可能性のないところから裁く」と啓示の話にありました。神様の目からすれば10人の義人もいなかったということでしょうか。

 

そして、大切なことは「日本はどうなのか」です。

国土が崩れる前に、既に人の心が崩壊していたという事実。今の日本もモラルハザードなり、人々の道徳が融解していると言われていますが、ハイチの様子は決して他人事には思えません。政治でも経済でもなく、人が「生きることの意味」、「命の価値」を見失った時に、秩序が崩壊して国家そのものが傾いていくということは歴史の必須に思えます。

 

日本は長年の道徳の習慣があるので、まだまだ大丈夫だという声もあります。確かに、諸外国に比べたら日本のマナーの良さは特筆ものだそうです。

 

例えば、神戸の震災の時、大学で教鞭を取っていた韓国の教授がおられ、何とか東京に脱出しましたが、そこで新聞に感想を述べていました。彼にとって印象的だったのは、外国では暴動でも起きそうな状況なのに、多くの日本人が沈黙して悲しみを耐え忍んでいたことだと。

 

しかし、当時よりも国民は虚無的になり、またその年に起こったオウムの事件以来、宗教など無意味という風潮も広がりつつあります。

 

かつて「赤信号 皆で渡れば 怖くない」という冗談がありましたが、「皆もしているから」とは、日本人が陥りやすい弱さではないかと思います。そもそも私自身は、(自分自身を振り返ってみても)日本人の道徳や正義というものはあまり信頼していません。

 

善行というものは、神様から力をもらった霊魂から生じてこそ、無理なく自然な行動になります。でも霊魂まで届かず「脳」だけに教育や躾だけで植えつけられた道徳は、本人が葛藤を起こしたり、長持ちせず、いざと言う時にたやすく崩れたりするように思えるからです。信仰も忘れつつある日本人にいくら道徳教育を叫んでも・・しないよりはマシでしょうけど・・空しさが生じるのです。

 

ハイチのような状態の国に道徳を取り戻す。「信じる」心を復興させる。これほど難しいことはないように思われます。でも過去の先人たちはそれを成した人もいます。

 

あの二宮尊徳も慈悲だけの人ではなく、自立を促す厳しい面もあったと聞きます。貧窮し土地も荒れ、道徳も退廃した地域に、「仁術を施せば村は立ち直る」、「援助は貪欲と怠け癖を引き起こす」、「荒地は荒地自身の資力によって開発されねばならず、貧困は自力で立ち直らせなくてはならない」と実践し、見事に土地も人の心も回復させたそうです。

(内村鑑三の「代表的日本人」、是非読んで見て下さい!)

 

「神様の目で見てはじめてわかることがある」

人間が知らずに自身の首を絞めてしまう。そして自業自得となり、自暴自棄のスパイラルに堕ち込む。こんな悲しいことがあるでしょうか。

先生も「人はわからず生きている」ということを深く悟った時、先生自身の生涯を省み、そして人類の哀れさと無念さを思い、一週間寝ても覚めても涙にくれたそうです。

 

これからまだ困難な時代が来ます。食えなくなればすぐに恨みも募るのが人間ではありますが、そこで一歩立ち止まり、天の想いで自分たちを見つめることが出来るかどうかが、希望と絶望の境目かと。

 

今も人知れず、地球が「可能性のない地」にならないよう、祈り続けている人もいます。そのような人の想いを、皆が共有できれば、もっと地球は良い世界になるはずです。アーメン。



で、関係ないけど・・明日は節分だ〜、サタンは外ー!主は内ー!!
 

2010-2-2 23:52


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ハレルヤ アーメン 700 P  
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